大宮南銀座の歴史 大宮南銀座 大宮南銀座


大宮
大宮南銀座=なぎん物語=埼玉最強の歓楽街「大宮南銀座」

この物語は作者の記憶を辿り表現したものです・・・

埼玉県の大宮駅東口に存在する県下随一の繁華街「南銀座通り」。そこは昭和31年頃まで、通称「見晴し通り」と呼ばれていた。この通りからは西の空にそびえる見事な富士山を仰ぐことが出来たからである。現在の大宮市仲町1丁目の西に位置する道といえば良いのだろうか。かつて、見晴通り寄りには東京へと向かう列車の改札口があった。さらに、片倉新道から産業道路方面に向かうバスの発着所、製糸取引業者の事務所、金融業者、軍事工場、多くの医院、駅弁当屋・・・・今で言うと大宮の経済を支える職種が集まっていたのである。そのため、大宮市役所正面通りとつながっていた。さらに、その職種を支える、ミルクホール、自転車預かり業、日本そばや、床屋、お風呂や、お茶と海苔屋、茶道教室、酒屋、魚屋、などが軒を並べていた。
  読売新聞の「この街に生きる・大宮宿の巻」に掲載された「大宮南銀座通り」


コウスイトンボ

「カラン、カラン」鐘の音が見晴らし通りに響き渡った。
リヤカーを牛にひかせた農業短期大学の学生さんが生ゴミの収集に来たのだ。

乾物屋やさんが生ごみの入ったバケツを持って走ってくる。
ミルクホールの店員さんが四角いブリキの箱をリヤカーの荷台に生ごみを投げつけるように放り込む。
近所のおばさんたちも一列になりリヤカーを待つ。

「カラン、カラン」「カラン、カラン」「カラン、カラン」
金色の鐘を振りながら学生さんたちが過ぎていく。
生ごみは牛たちの餌になるのだ。
学生さんたちが来てくれなければ見晴らし通りはごみだらけになるのだろう。
又は、東の角に住む北畠さんのように、庭に大きな穴を掘りごみを埋めるしかない。
北畠さんのおじさんは東京の会社に勤めているので朝は5時に家を出る。
そして休みの日は一日中、ごみを捨てる穴を掘っている。


 お茶屋さんの角に立つ銀杏が伐られるらしい、と言ったのは4女のフクコである。
その情報の出所は、我が家から歩いて1分という耳鼻科の医院の娘さんだ。
電話を使いたい姉は、近所の電話のある家の同級生の家に電話をかけ無駄話をしているのだ。

見晴し通りとお地蔵様の通りの角に立っている銀杏はものすごい大木である。
子供が4人くらい手を繋いだくらい太い。
だから、秋になると見晴らし通りや我家の勝手口につづく路地まで舞い散ってくる。
見晴し通りの一面を黄色にするのである。

わたしは耳聡い次女に訊いた。
「銀杏を伐ったあとに、何ができるの」
 次女は、バレリーナのようなポーズを付けて止まったあと言った。
「タラララァと踊る所。ダンス・ホールよ」

次女は先日踊り子になる、と言って父母兄に怒られたのだ。
「ダンシングチームなどと!女学校に行かずにどうするのだ」
「骨がやわらかいうちに入団しないとトップになれない」
と言って大声を上げ泣いて騒いだが、許されなかったのだ。
にもかかわらず、まだ諦められないのか、バレリーナのようにツンと顎を上げ両手をスッと広げた。
叱られても知らないから・・・私は心の中でつぶやく。

 大宮駅の構内には遊ぶところがたくさんある。
 太い木材で組まれた、座りごごちの良い駅の改札口。
お祭りの御輿も切符を買わずホームへなだれ込むことができるが、私も切符無しで改札口を通る。
何回見ても飽きない機関車の車輪。特に止まるときの蒸気。

鉄道構内と民間地を別ける大どぶの縁に咲くペンペン草の白い花。
それを髪に飾り、スギナの接ぎ目当てをする。
雨の季節を楽しむカタツムリ。それがいつの間にかいなくなると
カマキリやバッタが大手を振って現われては草に紛れる。
ツユクサはきりりと青く咲き、昼顔は鉄条網に絡み付き桃色の花を咲かせる。
蚊帳吊草を裂いて蚊帳をつくるころ、夏の隙間を縫う糸のように水色の秋風が吹く。
すると糸とんぼがやってくる。
私は糸トンボが好きである。コウスイトンボと私たちは呼んでいたのだが、
私はコウスイトンボのコウスイは香水だと漠然と思っていた。
なぜならコウスイトンボの命は、香水の匂いのように数日で消えてしまうからだった。
 
そんな糸とんぼ捕りの帰り道のことである。
私は近所の友達3人と銀杏の大木の跡地に出来た建物に向かっていた。
「知っている?あれはダンスホールっていうの」
裏窓が大きく開いていた。私たちは爪先立って中をのぞいた。

軽快な音楽が流れる中、お姫様のようなドレスを着た女の人たちがアメリカ人と踊っていた。
「ここはスターが踊るダンス・ホールなのよ」
「スターって、あの人たちがスターなの……」
「ムービー大宮のポスターと同じ」

 私は糸トンボの入る透明なガラス瓶を窓に置いた。
ガラスのビン越に見るお姫様の赤いフレアスカートは、
裏窓から吹き込む晩夏の風にゆらゆらとひるがえっていた。

「金色の髪はみんなアメリカ人なの」
「そう。笑っている人は、みんなアメリカ人」
「だからスターなのね」

音楽に合わせて踊るピンクや黄色のドレスは、私が捕った糸トンボのように綺麗だった。


To be continued



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昭和26年。
ユネスコ・日本参加。民放ラジオ開局。国産初のカラー映画。
「黄色いリボン」【アニーよ銃をとれ」「サンセット大通り」月光仮面」サンフランシスコ条約調印。
コールドクリーム登場。第一回NHK紅白歌合戦。パチンコブーム。社用族。
昭和27年
「平凡」「明星」時代の幕開け。
美空ひばりのリンゴ追分ヒット。NHKが初めて国会中継を行う。江利チエミがテネシーワルツでデビュー。
春日八郎が「赤いランプの終列車でデビュー。日本、オリンピックに復帰。鉄腕アトム登場。「君の名は」放送開始。
昭和28年
高校の漢文教育復活。アイゼンハワー米大統領に就任。スターリン死ぬ。アンネの日記ブームに。
リボンの騎士サファイア姫登場。雪村いずみ「想いでのワルツ」でデビュー。エリザベス女王戴冠式。
八頭身美人。電化元年「三種の神器」。ニクソン来日。
昭和29年

「ローマの休日」とともにソフトクリーム流行。モンロー来日「地獄門」カンヌ映画祭でグランプリ獲得。
造船疑獄拡大。街頭テレビのスター力道山。ロマンスグレーの流行語。

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