今回のゲストは、さいたま市立桜木小学校へ「機関区」の絵を寄贈した同窓生の方々です

小沢清人さんが26歳のとき描いた大宮機関区の機関庫の絵
  読売新聞ほのぼの@タウンに、このたびの活動をご紹介しました。     山田とも子
Q 小沢清人さんが描いた「機関区」の絵を贈呈することになったいきさつをお聞かせください「・・・
A 桜木小学校の昭和37年度卒業生は、同窓生である画家の小澤清人(おざわ きよんど)さんが26歳のときに描いた「大宮機関区に建つレンガ造りの機関庫」の絵が好きで私たちの眼の届く場所に飾りたかったのです。
Q その理由は・・・
A 50年以上昔、桜木小学校に通う生徒の父親の7割は、国鉄関係の仕事に従事していたため、子どもたちにとっての大宮機関区は家の玄関に続く遊び場でした。山のように積まれた石炭の頂上を目指したり、線路に耳を当て電車の音を聴いたり、近付いてきた列車から逃げたりと、子供たちにとり交流の場だったのです。。
《機関区とはC51・C57・D51・9600などの蒸気機関車の車庫で出発準備や走行後の手入れや給炭水や点検をする施設で、機関庫や石炭台・水槽・転車・台・などの施設があった》
Q 昭和57年1月でしたか?桜木小学校が西口再開発事業のため移転したのは・・・。
A 大宮−上野間の東北新幹線工事により、赤レンガ造りの機関庫その他の施設が取り壊され、機関区は消滅し、小学校の同窓生として共通の思い出を分かち合う光景を失ったのです。子ども時代を思い出させてくれる「機関区」の絵を身近な公共施設に飾ることが出来ないだろうかという話が始まったのは、2009年9月。相談し合った結果、校歌に「くろがねの鉄のピストン逞しく」とある桜木小学校にお願いすることにし、学校側から快諾の回答をいただいたのです。
Q 小澤清人(おざわ きよんど)さんは「思い出が詰まった機関区が消えると聞いた26歳の時、移りゆく鉄道の町の名残を留めておこうと思い立ち描いたそうですが・・・。
A 彼は、機関区の絵を見るたびに、あの頃に帰りたいという郷愁にかられるそうですが、私たちも同じ気持ちですね。

◎小澤清人(おざわ きよんど)さんプロフィール
 
昭和25年。東京生まれ。
武蔵野美術大学卒業
 現代動画会会長

 東京吉祥寺のカフェ「宵町草」で絵画集団゛サロンドキキ゛を主催。


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