言葉で勝とうとする。

この言葉をはじめて耳にしたのは30年前のこと。
その場所を今でも鮮明に覚えている。
なぜかというと、その言葉の意味が解らず
曖昧に頷いていた記憶があるからである。

どういう意味だろうか・・「口喧嘩」でもない。

「言葉で勝つ」そんなことが出来るのだろうか?
だがその言葉の意味は、
その後さまざまな人との出会いにより解ることになるのである。



そして、重みの差はあれ、似たような言葉があることも。
「言葉で取り繕う」
「・・・だったから出来なかった」「やれば出来たのだけれど」
「本当は・・・だったけれど」「・・・しようと思ったのだけれど」
これらは「言葉で勝つ」のではなく「言葉で肩を並べようとする」部類だろうか。

それとは別に・・・何かに勝とうとするあまり・・・
「人をおとしいれる噂を流す」「小耳に挟んだことを角度を変え悪く伝える」
「そしてあとから慰めに行く」という行為をする人がいる。



いわゆるマッチ・ポンプ・・・である。
この場合、何に勝つための行為なのだろう・・・



誰でも、言葉で自分を補いたいときもあろう。
コンプレックスのあまり、言葉を弄び、天上人にのぼろうとする人もいる。
だが、言葉で補っていくことを覚えてしまうと、怖ろしい結末がまっている。
その人の人生が形無き幻でおわるのだ。

取り繕ってばかりいると、自分が生きてきた証や、
存在していたことがぼやけていくのだ。
さて、
清清しい明確な明日へと舵を向けるには、
言葉で自分を守る、言葉で勝つ、
その行為で、一時だけ自分を忘れる・・・ことを止めようではないか。

当人にしてみると、もしかすると麻薬のようなものになっているのだろう。



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