数年前のこと。彗星に金属をぶつけ、衝突する様子をカメラで撮影することに成功した、というニュースに
「何になるんでしょうね・・・」と生放送番組で言ったのは、
私にとっての高感度NO3に入るジャーナリストである。

大金をかけて未知の世界を求める・・・それが他の領域を侵す場合・・・
そのことは、過去の歴史を遡ると、たいてい争いを起こす引き金になった。
イタリアの航海者コロンブスが大陸を見つけ・・・
そして・・・未知の世界を覘き先住民と友好を深める・・
そこで止めておけば、先住民との争いは起きなかっただろう。
今日に至る争いの歴史も大分変わっていたのではないだろうか。

領域を侵す。
負けるとわかる戦いを止めなかった。何故かというと、
濁流のような流れに逆らえなかった・・・・というのである。
濁流?誰が清流を濁流にしたのだろう。
国民というより、人様の夫を、婚約者を、息子を、
将棋の駒のように動かし、濁流の犠牲にした。

指導者のプライドがかかる戦いだから止められなかったのか。

戦い。それを決定した指導者たちは、死を恐れぬ強靭な心の持ち主にちがいない。
だから、戦いたいなら、まずは強靭な心を持つ血族一同を引き連れ、
「いの一番に最前線へ」赴いたらどうだろう。

人を死に至らしめた言い訳は、すればするほど醜い。
結果がすべてなのだから・・・言い訳は醜い。

話が逸れてしまったが、平和な宇宙の彗星に金属をぶつけるなどして、宇宙人が怒らないだろうか?
彼らは、日本への原爆投下やローマ法王がお隠れになったとき、
その情景をチラッと覘きに来たらしい(私はUFOの存在を信じているので)。
今回のことについては、地球人よ!許さないぞ!と、地球を爆破しないだろうか?
そして、宇宙戦争勃発・・・・

人の命は永遠ではない。一時、永くとも100数年この地球にお世話になるだけなのである。
地球が、宇宙が無言だからと、驕り高ぶってはならないと思う。

地球を傷付けることなく次の世代に渡す、というわけにはいかないのだろうか。
天を仰ぎ地に伏し、大自然に感謝する民族がいる。
私には彼らが、本当の人間の指導者のように見えてくる。

地球人にとり、戦いからの卒業はいつになるのだろう。

山田とも子のつぶやき山田とも子 山田とも子山田と