風邪の床で山本周五郎の『赤ひげ診療譚』を読んだ。
感動し、三度も読んでしまった。
そのおかげだろうか。
風邪が長引いたのは。


『赤ひげ診療譚』の舞台となった小石川療養所とは、
幕府直轄の薬草栽培地の一隅に設けられている施療病院。
入院をのぞむ場合、病人が市庁に訴願し裁可を得て・・・
中略・・・一切の弁用悉く官給を以て充当し・・・中略・・・
在留二十か月に満たば癒えざるも退院・・・

以上の療養所に、長崎で医学を勉強した保本登という青年が訪れる。
小石川療養所を束ねているのは新出去定(にいできょじょう)。
「赤ひげ」とあだなで呼ばれる、四十代の精悍さと、六十代の落ち着きをそなえている医者。
保本登青年の希望は御目見医者になること。
現世で栄達することであった。

貧乏人ばかり訪れる療養所など早々に退散したかったのだが、
「赤ひげ」の、徒労と思えることに賭ける姿や、貧しい人々へ与える無限の愛を見ているうちに、
生涯、小石川療養所で働くことを決意する。

つまり、「赤ひげ」は保本登という精神的にも社会的にも鍛えられていない青年・・
つまり「医術の何たるかを知らない患者」の医者として登場するのである。

「赤ひげ」の言葉。

「人生は教訓に満ちている。しかし万人にあてはまる教訓は一つもない。
殺すな、盗むなという原則でさえ絶対ではないのだ」

「富三郎だけを責めるのは間違いだ。彼はお縄になったそうだが、
おそらく気の弱いぐうたらな人間、というだけだろう。
そうなった原因の一つは十七という年で誘惑され、
女に食わせてもらう習慣が付いた――
いちどのらくらして食う習慣がついてしまうと、
そこからぬけだすことはひじょうに困難だし――
やがて道を踏み外すことになるだろう
そうゆう例は幾らでもあるし、彼はその哀れな一例にすぎない」

「人間の一生で臨終ほど荘厳なものはない」

「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などない」
「医術がもっと進めば変わってくるかもしれない、
だがそれでも、その固体のもっている生命力を凌ぐことはできないだろう」
「病気が起こると、或る固体はそれを克服し、べつの固体が負けて倒れる・・・」

「温床ならどんな芽でも育つ、氷の中ででも、芽を育てる情熱があってこそ、
真実生きがいがあるのではないか」



映画化されたとき、三船敏郎が「赤ひげ」演じていた。
三船敏郎は黙って画面に登場するだけで赤ひげであった。


バラエティ番組で私生活をぺらぺら笑いながら喋る「恵比須金綺羅役者」とは異なる。
これから「赤ひげ」を演じられる渋い俳優は?と思いを巡らせた
育ちのよさが表れちょっと甘いが、北大路欣哉、と私は思った。


幕末まであった療養所は、明治一年貧病院と改称した。が間もなく廃止。