山田とも子のつぶやき=さいたま

遠い昔。
「規律や規則」を守っている人を堅苦しい人とし、
少々外れた行動をとる人を素敵だと思っていた。

服装で言えば、
季節に抵抗しているとか、
勇気を持って肌を出しているとか、
そんなファッションを個性的で新鮮でお洒落と見ていた。

初夏のパリの街で毛皮を羽織っていたパリジャンに、
「さすがパリ」とため息をついたのは1970年のことでした。

時は流れ・・・最近は
めぐる季節に敬意を表している服装を
美しいと思うようになった。
「規律・規則」守る人を美しいと思うようになった。

なぜなのか。
四季を無視した裸同然の服装が街に大氾濫するようになったからである。
氾濫なので新鮮ではない。
はじらいもない。
勇気も若さもない。

はっきり言うと、
だらしない光景をこれ以上見たくない、
もう飽き飽きなのである。


街も海辺も豪邸も別荘も4畳半のアパートも一流ホテルのバーも酒場も、
クラブもキャバレーもキャバクラもごちゃごちゃ一緒。
浴衣でハイヒール、水着で買い物。
浴衣でガングロ、黒足、黒爪、白唇。
知識が無いから怖いもの知らずである。




高校生が高校生らしく少年が少年らしく
青年が青年らしく国を憂えていたころ。
中学生女子が中学生女子らしく、棒のように細い足であったころ。
お嬢様がお嬢様らしい美しい言葉を持っていたころ。

規律、規則を破ることを恐れていたころ。
そこには美しい光景がたくさんあった。

ファッションや行動が、
野に放たれた怪獣のようなっている。

規律・規則がなくなったのだ。
だから、ハラハラ、ドキドキもない。だから格好良くもない。勇気も何もない。

単に四季洋服の管理仕分けが面倒。だらしないだけ。