11月25日は大文豪三島由紀夫の忌日で、三島忌・憂国忌といわれ、俳句では初冬の季語となっています。
この日が近くなると、羽田空港の搭乗路で擦れ違った赤いアロハシャツの三島由起夫の姿を思い出します。

1967年の3月26日、晩春だというのに真夏のような太陽が照り付ける午後のことでした。
友人や家族とともにおしゃべりをしながら羽田空港の搭乗路を歩く私たちの前方から
とても派手なカップルが(特に男性)来ました。

なぜ男性が目立ったかというと、
赤い花模様の半袖のアロハシャツ姿だったからです。
ハワイもしくは南の国から帰国したところだったのでしょうか。
そのアロハの男性は、かたわらに寄り添う女性の肩を、
華奢な陶磁器をかかえるかのように抱いています。

まるでアメリカ映画の1シーンに登場するカップル・・・
その二人との距離が3メートルほどになったとき
赤いアロハの彼が小説家の三島由紀夫だとわかりました。

私は感激で胸の鼓動が高鳴りはじめ、視線が宙を泳いでいたにもかかわらず、
三島由紀夫が着ているアロハシャツのボタンが二つ外れていたこと、
そのため胸毛が見えたこと、そこに太い金の鎖が下がっていたこと、
などをしっかりと見ていたのでした。


そのころの三島由紀夫は、豪傑笑いとともに自衛隊の隊員と食事をとったり、
ボディビルで肉体を逞しく鍛える光景でマスコミをにぎわせていました。
そんなことから私が描いていた彼のイメージは、
ヘラクレスのように頑強な肉体の三島由紀夫でした。

ところが目前の三島由紀夫は小柄で華奢で佳麗な雰囲気で、
雑誌に載る自衛隊のドンブリ飯を豪快にかき込む彼とは異なっていました。


その後、1970年11月25日。
彼は自ら組織する「盾の会」の会員4人をともない、
東京市谷の自衛隊東部方面総本部に乗り込み、自衛隊委員100名をバルコニー前に集め、
軍刀をふりかざしながらの勇壮な演説とともに、自衛隊員に向かってクーデターを扇動。

しかしそれに応じない隊員の前で割腹自殺という行為を。
「何故?どうして?」

あのときの三島由紀夫は、何よりも大切なものを抱くように奥様の肩を抱いていたではないか。

その奥様を残し、割腹自殺という死をかけてまでしなければ我慢ならないことがあったのか。
これが男だ、男らしいということはこういう行動なのだ、そう納得したかったのでしょうか……

何年経とうが鮮やかに思い出すあの時の羽田空港の搭乗路。

振り返った時、鮮やかによみがえるシーン。
たくさんあるほうが楽しいものです。




  三島忌の鏡中に置く鉄亜鈴 とも子

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