昭和26年夏。

「大変。大変。早く、早くこっちへおいでよ」
大宮駅構内の国鉄官舎に住む子が私を呼びに来た。
子供にとって誘いは次の遊びへの入り口。
私と良子ちゃんは捕まえたばかりの水色の糸とんぼを空へ放し、
昼顔のからみ付く鉄条網をくぐり抜けて入った国鉄の構内はギシギシや豚草・・・雑草だらけ。
糸トンボの天国だ。
だが、糸トンボを横目に息を止め草いきれを抜ける。
するとひろびろとした線路端に出る。

私はまず富士山を見上げる。
次に錆びて赤くなった大宮国鉄官舎の屋根を見下ろすように首を垂れているヒマワリを見る。

「何しているの。こっち。こっち。早く早く」官舎の子が私を呼んだ。
私は駅に向かう官舎の子の後を追い線路端を走る。


夏草の揺れる線路端には4・5人の大人が集まっていた。
「どこからきた人なんでしょうねぇ」
国鉄の職員が盛り上がる筵(むしろ)を見下ろし言った。

痩せたおじいさんが足元の雑草を蹴りながらボソボソ言った。
「死ぬ場所も、色々あってむずかしいもんだ」 

白い割烹着姿のおばさんが怒ったように言った。
「弟はね、この間の戦争で死んだんです。贅沢だね。自殺だなんて」

するとだれかが言った。
「本人は楽になっても・・・家族はきっと泣いている」

「こうなるには相当な勇気がいったろうに。死んだ気になって頑張れなかったのかなあ」
腕を組み直した国鉄の職員が困ったように言った。


ふわりと置かれた筵からは片腕と両足がはみでている。
その手足はゆったりと投げ出されていた。
私は大人たちの後ろから覗きながら思っていた。
(あの人・・・寝ているのかもしれない・・・)

手足は、光りを白く跳ね返している線路のようにきれいだった。
山田とも子=つぶやき