書道の恩師が天国に召されたという報告に、
私は、初めてご指導いただいてからの、気の遠くなるような月日を思っていた。

その中で、今でも、鮮やかに思い出せる場面がある。
学生であった私が初めて書道をご指導いただいたときのことである。



それから30年後。
私は、恩師のアドバイスに従い、数人の方に書道をご指導するようになった。
そのとき、私は初心者に対してのみだが、筆を持つ生徒の手に私の手を添え、筆の運行の指導をした。
恩師が私にしてくれたことであり、私にとりその後の上達に欠かせなかったことだからである。

だが、その指導方法を行っているうちに、
私の手の運びに「ゆだねる」ことが出来る生徒と「ゆだねられない」生徒がいることがわかった。
「ゆだねられない」生徒・・・とは、指導者より早く、手・腕を運ぶのである。
つまり、指導者がどのように筆を運ぶのか・・・それをじっくり観察・体験しないということであろう。

指導を仰いでいるとき、自分を「ゆだねられる」か「ゆだねられない」か。
良し悪しは別に、、本人の観察力、洞察力がくっきりと、あらわれるように思えるのだが。
どうであろうか。



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