過ぎた年月より残る年月の方が明らかに少ないと判ったころ・・・
つまり、人生の決算期を迎えた年齢と表現して良いかもしれない。
そのころになると、判ってくる、というか鮮明に見えてくることがある。

あの時、あの人が言っていたこと。
あの本に書かれていた本当の意味は
こういうことだったのだ、と。
あのことわざの意味はこれだったのか、と。
だから、年を重ねると「人間丸くなる」といわれるのである。



だが、いつになっても、年齢を重ね後期高齢者となっても・・・
悪さ略奪を繰り返す人がいる。

未熟な若者なら、いずれ解ることと・・・ということでお目こぼしをしよう。
だが、すでに悟りを開く年齢である。
明日、天国に召されるかもしれないのである。

にもかかわらず、悪事を考える。まさに愚劣そのものである。
「またか!」である。

強欲・嘘八百・美辞麗句を並べ目的達成のために、
昨日の友を裏切る。



美辞麗句で積み重ねてきた友は勿論の事
貴重な時間を捨てることを繰り返す。

短絡的なので人間関係を構築出来ない、
と表現したら良いのだろうか。



もしかすると、失敗の悲しい記憶を残したくないのだろうか。
自分の真の姿を直視したくない。第3者の視線で見たくない。
自分が王者として誕生したことにしたい。
そんな、願望があるのだろうか。

だが、 「今度こそは!と野望に向かっても、
王者の振りをし、虎視眈々と歩みを進めても、
立ちはだかる言葉がある。

「悪事千里を走る」

悪い行いや悪い評判はすぐに世間に知れ渡るということである。

、そして

「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず
《「老子」73章から》」

天が悪人を捕えるために張りめぐらせた網の目は粗いが、
悪いことを犯した人は一人も漏らさず取り逃さない。
天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある・・・



天は、それぞれの人に器を与え、この世に誕生させたのだ
と、私は思っている。

大きな器か
小さな器か
金の器か
ドロの器か



過ぎた年月より残る年月の方が明らかに少ないと判ったころ・・・
人生の決算期を迎えた頃、もし間に合うなら
これまでの「悪行」を薄めるために「善行」を。


山田とも子=つぶやき
読売新聞埼玉版 「ほのぼの@タウン」さいたま市レポート集 
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