一つ家に遊女もねたり萩と月  芭蕉

新潟の市振を訪れた。
以前、市振を訪れたときは、同行した娘が小学校5年生であったので
29年ぶりの市振の地
ということになる。

あいにくの雨模様で「遊女句碑」の前にして、あれこれと感激する時間の余裕はなかったのだが、
ともかく、この地で過ごした輝いていた一瞬を思い出させてくれたのである。

が、それ以上に、あまりにも遠くなってしまったあの日の情景に、一抹の寂しさを抱いていた。

地域の教育委員会が主催した句会で、「市振句会」という名称だったろうか。
知人からのハガキによる日程は、午前10時ころから親知らず近辺を散策し、
午後から句会がスタートしたような記憶がある。





ヒスイ海岸を散策し一句を練るなど、
ハードな日帰り句会であった。
だが、私は少しも苦ではなかった。
俳句への情熱と体力がマッチしていたからだと思う。

今、誘われたとしても不参加のハガキを投函したのではないだろうか。
情熱」はあっても「体力が伴わない」と「気力」がわいてこないからである。
つまり、日帰りという日程の事である。


飛躍につながるか、否かはわからないが、
誰にも、後・先を考えずに突っ走れる時代がある。

そして、二度はない。
いつかそのうち・・・もない。

有り余る体力は大切に使いたいものである。
自堕落な活動内容に使わないようにしよう。

そのまま永遠に自堕落な足跡を残すことになる、と私は思っている。








暑き日を海に入れたり最上川


�⇑日和山公園より最上川河口を望む

江戸深川の採荼庵(行く春や鳥啼魚の目は泪  芭蕉旅立ちの一句)
から、草加、黒羽、白河関、須賀川、飯坂、仙台、松島、
平泉、山寺(立石寺)最上川を下ったところで、私たちの時間が切れた。
そこで、酒田港は次回ということになった。

以来27年。

酒田港は私の憧れの港であった。

そこで今回は酒田から奥の細道を訪ねる旅をしたのである


羽黒山頂の芭蕉句碑
涼しさやほの三日か月の羽黒山




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象潟や雨に西施がねぶの花