大宮駅の東と西を結ぶ大栄橋から見上げる空は果てしなく広い。
眼下に目をやると数えきれないほどの線路が走っている。


夜の大栄橋から見下ろす景色には、昼にはない情緒がある。

北へ向かう夜行列車のテールライトが闇に消えていく光景も素敵である。
過ぎて行った旅の場面を思いながら、次の列車を見下ろしていると、
突然警笛が響き渡ることがある。

それは、私たちに向けてかどうか分からないのだが。



 

半世紀以上前の大栄橋を振り返ることになるが、
大宮駅の西口と東口の間には数えきれないほどの線路が走っていた
(現在も数多い、だが、当時を背景に表現したことをご理解いただきたい)
その為、往来はままならなかった。

だが、子どもであった私たちは、
冒険でもするように東口から西口へ行く幾つかのルートを往復した。

列車が来ないのを見届け東口線路端から西口の線路際まで前速力で走る。
東口改札口で切符を切る駅員さんにピョコッと頭を下げ、改札口を通り西口まで行く。
帰りも同じである。

ガード(当時はガードという表現は、大宮駅から南へ数百メートルのガードを指した)をくぐる。
現在、大栄橋がかかる北の辺りに設置されていた跨線橋(通称欄干橋と呼ばれていた)を渡る。
跨線橋は人がギリギリ交差できるかどうかの幅しかない。
そのため、一つ間違えると眼下の線路上に墜落ということになる。

その橋を、自転車を担ぎ欄干橋の階段を上る人。その人を背後から手助けする人。
買い物かごを手にしたおばさんや青い服の国鉄マンなどが
渓谷にかかる釣り橋を渡るように欄干橋を渡っていた。

欄干橋から見上げる頭上には青空が広がり、
見下ろす地上には鉄道線路が白く光っていた。


大栄橋は大宮の東と西がひとつになり栄えるようにという願いが込められた名称だという。

大栄橋からの眺めは半世紀以上昔の景色を蘇らせると同時に、
大宮が鉄道の要衝といわれる骨太のまちであることを改めて気付かせくれるのである。


2020年10月の初めに



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  「さいたま模様」の編集者山田とも子が
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