さいたま模様
「さいたま模様」の編集者山田とも子が折々のことを書いています。 



懐かしきかな あの頃

 昭和40年。
私の通学路は南銀座通り。そこは、髪をポマードで光らせた黒スーツの青年が
手をパンパンと鳴らし呼び込みをしている。
時折、胸ポケットから櫛を取り出しヘアスタイルを整える。
そのしぐさはアメリカ映画に登場するマフィアの手下。
だが、仕方がない。この通りは、大衆が求める面白おかしい刺激を提供しやすいのだから。

 ある日の夕方。私はいつものように通学路である南銀座通りを自宅へ向かい歩いていた。
すると、前方から四五人の男性が歩いてくる。彼らは、通りを占領するように横に広がり、
さらに肩を左右に揺らしている。この通りでは見慣れた光景で何とも思わなかった。
だが、真ん中を来る白いスーツの男性・・・その顔に見覚えがあった。
K君だ・・小学生のころ母が「素直で良い子」だと可愛がっていた同級生のK君だ。

小学校低学年の頃、学校を休みがちであった私に給食のパンを届けてくれたのがK君である。
K君は私の家の玄関から入らず、塀の隙間から、
半紙に包んだコッペパンを思い切り突き出し無言で忍耐強く待っていた。
私の家族が気付くまでその姿勢を崩さないk君を、私は襖の陰に隠れて見ていた。

そのk君が現在の生業を表わす格好で私の前に現れた。
母が可愛がっていたk君。良い子だとほめていたk君。
それなのに・・・母を裏切った。

私は怒りをあらわにし、通りの真ん中で仁王立ちになっていた。
だが、私を目前にしたk君は視線を上空に向け、何かを捜すようなふりで
私の横を早足で通り過ぎ、雑踏に紛れていった。
あっという間のことであった。
このすり抜けられた感触、悔しさ。
何かに似ている。
そうだ---
夜店の金魚掬いに失敗したときの口惜しさだ

数日後の夕方。母が興奮した口調で私に言った。
「K君に逢ったの。立派な背広姿で若い社員を七・八人連れていたけど、
社長になったのね・・・何かあったら、僕に電話して下さいと言ってたわ。
K君・・・子供のころは苦労したけど、本当に良かった」
と母は何度もつぶやいた。

私の存在を無視したk君。白いスーツが重かったのだろうか。


あれから60年経った。
だが、今でもふとした瞬間にあの光景が蘇る。
白いスーツはネオンきらめく大宮南銀座より輝いていた。
その事が今でも私の胸をふさぐのである。



(昭和30年ころまでは見晴らし通りと言う名称の商店街。現在の大宮南銀座通り)