大宮南銀座の歴史 大宮南銀座 大宮南銀座


大宮物語
大宮南銀座=なぎん物語=埼玉最強の歓楽街「大宮南銀座」

埼玉県の大宮駅東口に存在する県下随一の繁華街「南銀座通り」。そこは昭和31年頃まで、通称「見晴し通り」と呼ばれていた。この通りからは西の空にそびえる見事な富士山を仰ぐことが出来たからである。現在の大宮市仲町1丁目の西に位置する道といえば良いのだろうか。かつて、見晴通り寄りには東京へと向かう列車の改札口があった。さらに、片倉新道から産業道路方面に向かうバスの発着所、製糸取引業者の事務所、金融業者、軍事工場、多くの医院、駅弁当屋・・・・今で言うと大宮の経済を支える職種が集まっていたのである。そのため、大宮市役所正面通りとつながっていた。さらに、その職種を支える、ミルクホール、自転車預かり業、日本そばや、床屋、お風呂や、お茶と海苔屋、茶道教室、酒屋、魚屋、などが軒を並べていた。
  読売新聞の「この街に生きる・大宮宿の巻」に掲載された「大宮南銀座通り」


金髪のジェーン・ラッセル


街頭映画会が終った。私は夏の風が吹きとおる見晴し通りを家まで走る。
通りの空はきらめく星でいっぱいだ。
その満天の星空へ突き立っているのは見晴らし湯の煙突。路地を挟んで靴屋。
向かいが毛糸屋。細く残された路地。その寂しげなを行くと、私の嫌いなそろばん塾がある。
一日に一度は行く駄菓子屋さん。ガラス管に入るゼリーやコンペイ糖を売っている。

自転車預り店にはムービー大宮のポスターが貼ってある。今週のポスターは金髪のジェーン・ラッセルだ。
だけど空色の瞳がでこぼこしている。
そのわけは判っている。
ポスターを貼りに来るおじさんが前のポスターをはがさないからだ。
次から次へとポスターを重ねて貼るからだ。
つぎからつぎへとうどん粉の糊をザァッと塗り、ポスターを重ねて貼るからだ。
凸凹コンビやインデアンなら良いけれど女優さんは気の毒だと思う。

夜の自転車預かり店には自転車は無い。黒い長い闇があるだけ。
闇の一突き当たりがぱっくり割れてオレンジ色の灯が漏れている。家族揃って夕ごはんなのだ。

その隣は私のピンどめやリボンを買う化粧品店。
立ち止まり中をのぞくと口紅と爪を赤く塗った、アメリカ映画のスターのようにきれいなお姉さんが後片付けをしている。
夜なのに茶色い髪もきれいにカールしてある。
白いカーテンは野口床屋さん。野口床屋さんからはいつも白い匂いでいっぱい。
次は水びたしの店、魚一。店を洗う時間の夜は特にびしょ濡れ。
だけど魚一の娘さんは皆美人。浜長化粧品店の店員さんに劣らない。

中村蕎麦屋さんは夜の灯もお蕎麦色に悲しげだ。障子紙を張り替えた方が良いのにと思う。

その隣は原っぱだ。
私はここから富士山や長い長い貨物列車を見る。
晴れた日になると魚一の魚が干され、玉虫色の金蠅がせせこましく飛び回り、
麦わらトンボや蝶が低空飛行する。
その中でわたしたちは縄跳びをしたり鬼ごっこをする。
一番はビー玉遊びだ。
晴れた日のビー玉は、お日様の光を巻き込みながら矢車草を目指し転がって行く。


To be continued


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昭和23年
「みかんの花咲く丘」川田孝子が歌って大ヒット。帝銀事件。ガンジー暗殺。
斜陽族。太宰治、玉川上水で自殺。ホンダ設立。

昭和24年。
アメリカ型ライフスタイルへの憧れ。新制大学各地に誕生。
湯川秀樹博士ノーベル賞。フジヤマのトビウオ・古橋広之進。ベトナム国家成立
。ソ連からの引き上げ再開。芥川・直木賞の復活。

昭和25年。
細雪が映画化(高峰秀子)チャタレイ婦人の恋人。羅生門(三船敏郎。京 マチ子)
イタリア映画全盛。ジャングル大帝。美空ひばり・東京キッド。金閣寺炎上

昭和26年。
ユネスコ・日本参加。民放ラジオ開局。国産初のカラー映画。
「黄色いリボン」【アニーよ銃をとれ」「サンセット大通り」月光仮面」サンフランシスコ条約調印。
コールドクリーム登場。第一回NHK紅白歌合戦。パチンコブーム。社用族。


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