大宮市時代に発行されたタウン誌「おおみや」 について |
佐野繁次郎さんの絵の表紙の「銀座百点」を手に 「このようなタウン誌を大宮につくる」と、山崎嘉一さんが言った場所が どこであったのかを、思い出そうとしても朧。 濃い霧の彼方です。 それくらいの年月が、この町に住み続ける私に流れてしまいました・・・ 昭和38・9年。それは戦後の混沌とした状態がようやく落ち着いてきた頃。 夜明け・・・曙(あけぼの)の時代だったのです。 ですから、大人も学生も一筋の光を求め情熱をつぎ込み、 私利私欲なく日々を送っていました。 そんな時代に「おおみや」の第一号が発行されたのです。 願いは東京の銀座。 あの銀座のように・・・スマートな街にしたい。 メンバーは「大宮っ子」 、純粋に街を愛した人々。 彼らがが誕生させたタウン誌「おおみや」は良質の活字文化も求めていたのです・・・。 |
旧大宮市時代に初めて発行されたタウン誌「おおみや」をご紹介いたします 表紙の写真は長福寺の懸仏 品格と格調に溢れ、名店会とよばれる事業所に似合ったものでした。 1981年92号表紙:長福寺の懸仏(大宮市立博物館所蔵) 発行人 山ア嘉一・黛明男 編集人 榊 弘子 ーおおみや編集同人ー 宮沢章二・山ア 肇・大古田艶子・大西民子・塗師洋一郎 大宮の発展のために営利を求めず、 品格あるタウン誌「おおみや」を編集していたメンバーの方たちです。 その目的を受け継ぐ編集者は彼方となりました。 純粋に大宮を愛する人々が大宮の為に目覚め、 文化の香り豊かな 良き時代の大宮を復活させてくれる ことを願ってやみません。 |
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