エルネスト・チェ・ゲバラ
1928年6月14日生まれ。59年7月15日、31歳のゲバラは広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花。
1967年10月政府軍に捕らえられ殺害される。
.2008年5月、娘のアレイダ・ゲバラ、2017年8月には息子のカミーロ・ゲバラが平和公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花。 |
山田とも子のつぶや
チェ・ゲバラがモーターバイクでアルゼンチンからコルドバへ向かったのは
1951年2月。
23歳のときである。
ご存じのようにチェ・ゲバラはアルゼンチン生れの革命家、ヒーローである。
彼は中産階級の家庭に生まれ、ブエノスアイレス医学生という環境にあった。
その彼が、なぜ革命家になっていったのか。
その入り口を描いた映画「モ−タ−サイクル・ダイアリ−ズ」を鑑賞した。
映画は冒険好きなチェが、カラカスからコルドバまでの南米大陸を旅行し、
インディオやライ病患者、階級の差、など多様な人々の生活に接し、
徐々に革命家になっていく様子を描いている。
ラストシーンでは・・・
友人のアルベルト・グラナドスと別れるチェの顎には
うっすらと影のように髭がみとめられる。
映画の前半では髭を丁寧に剃る色白の青年であったのに。
その後、チェはハバナ大学法学部卒業の弁護士フィデル・カストロと出会い、
革命家としてのカストロの魅力に惹かれる。
勿論、自身も冒険への誘惑に惹かれていたのだろう。
グランマ号に乗り込んだこのとき、チェは28歳、カストロは30歳である。
溜め息が出るほど輝きのある場面である。
「チェ」というのはキューバ人がゲバラにつけたあだ名で
ゲバラが「・・・ねぇ君」という意味のアルゼンチンのスペイン語「チェ」をつけるので
それがゲバラの愛称になったという。
数年前、小物を売る店でチェの顔が描かれたジッポ−のライタ−を見つけたことがあった。
買おうかどうか10分ほど迷ったが、結局買わなかった。
なぜかというと買えば人に見せたい。
すると、なぜ、ライタ−をもってるのか、と問われるだろう。
煙草の匂いさえ嫌いなので、煙草好きと思われたくない。
さてさて、と悩んだ挙げ句、諦めたのである。
嫌煙の感情にチェへの想いが負けた、とでもいおうか。
その後のことである。
近所のシューズ屋のウインドウに、チェの写真が挿入された大きなポスターが貼られてあった。
たくさんの馬が走り来る勇壮な場面に、革命家となったチェの顔が配されてある。
私は思わず立ち止まっていた。
「この店の誰かがチェに好感を持っている!」
そう思ったからである。
何はともあれ、
今でも、チェのような英雄に憧れる若者が存在していることが嬉しかったのである。
英雄とは国に革命を起こすことばかりではないと思う。
自分の怠慢さから抜け出す勇気を与えてくれる存在、も入ると思う。
店主は、チェのもつパワーに憧れたのかもしれない。
私は、というと、その一人に間違いない。
さて、エルネスト・チェ・ゲバラもフィデル・カストロも高学歴。
当時を思うと相当なエリ−トである。
現在はというと、どこを見ても高学歴者。
人生は短い。だがヒーローの名は歴史に残る。
けれど、歴史に残るその部分は
流れ星のように「一瞬の輝きの光景」なのだ。
人々はその一瞬の輝きの憧れ、何かを学び取る。
ヒーローの「人生のすべて」が輝いていることはないだろう。
流れ星の最後が「石の残骸」であるように
ところが・・・である。
ヒーローの弱い部分や結末を、
鬼の首でも取ったように、否定する現代人がいる。
結果を辿り探りを入れることは容易い。
だが私もそうだが、彼の「行動力」と「情熱」に惹かれる人々は多くいる。
美人薄命と言う言葉があるではないか。
美人である時は短い。
美しいエリザベス・テーラーは、私にエネルギーを与えてくれた。
彼女のスキャンダルなどどうでもいいのだ。
ヒーロー・・・とは・・
私との関係はというと・・・
希望を与えてくれる存在。
背中を押してくれる存在なのだ。
流星の傷 あらわなる まぶしさよ・・・自詠句
流星の輝きは美しい。だが、そのまぶしさは、自身が傷付いた割れ目から流す光なのだ・・・ |
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