昨年末に訪れた雲南省の一部に地域には妻訪婚の風習が残っていた。
夫が妻の家を訪れる妻訪婚・・・
日本の平安時代に行われていた婚姻様式である。
夜露に濡れ女性の家を訪れる男性。
明けやらぬうちに衣々の別れをし朝露に濡れ家へ帰る男性。
だれもが甘美なものととらえるのではないだろうか。
『蜻蛉日記』は藤原兼家の妻となった女性が綴った日記である。
妻といっても重婚が許されていた平安時代のこと。
今で言うと、結婚したといっても女性はすべて入籍しない愛人ということだろうか。
すでに夫の兼家には時姫という妻がいた。
そのことを承知していた蜻蛉だが・・兼家が訪れない夜は辛く悲しい。
夫の愛情を独り占めにできない不安定な立場を嘆き悲しむ。
小倉百人一首に
「嘆きつつ独り寝る夜のあくる間は、いかに久しきものとかは知る」
という歌がある。『蜻蛉日記』の作者、右大将道綱の母の歌である。
妻訪婚。
妻の家へ嫌なら行かない、飽きたら・・・終わらせる。
最もこれは一部の権力ある男性のことであるが。
では、さらに、さらに・・さかのぼると・・そこには
力ある雄が雌を従わせる光景が展開するだろう。
現在の制度は女性の立場を守るために改良に改良を重ねたものだと思う。
今それが壊れようとしているような気がする。
もしかすると、壊そうとしているのは強くなった女性かもしれない。
だが・・・「花の命は短くて・・・」
という言葉をご存じだろうか?
自由恋愛の結果、最後に勝者となるのはだれなのか。
最後と言うのは、10日や1ヶ月や1年2年先のことではない。
30年40年50年先のことである。
答えは−『蜻蛉日記』にあるかもしれない。
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