以前にも
悪人のタイトルで書いたが、繰り返し起きる事件に
怒りが収まらず、
何度でも書くことを、ご容赦願いたい。

幼児の放置。虐待。責任放棄のニュースには心が痛む。

何日も食事を与えなかった、とか
タバコの火を押し付けた、熱湯を浴びせ殺した、
などである。

幼児虐待極悪人に共通していることがある。
幼児を持つ母に男の愛人が出来た、ということである。



今の時代、シングルマザーに愛人の登場、そのこと自体は仕方が無いだろう。
幼子と共に「生きていくために見つけた第2の男」
生活のためならなら仕方が無い。

だが、己の「寂しさ」「欲望を満たす」ための愛人というのはいかがなものか。
100歩譲り「寂しさを欲望を満たす愛人」の登場により
わが子に優しく接する母になる場合もあるかも知れない。



この世に生まれた人間は
男と、女である。

そして青春時代を経過し
男と女だった人間は
ステップアップし
夫と妻になる。

さらにステップアップし
父親と母親になる。
のではないだろうか。

ただの男と女が人間として学び、人間として模索し手順を踏み
そして得たのが父親と母親の地位であろう。

いつまでも男と女でいたいなら
それは其れが生き方なので何ともいえないと思う。
だが、覚悟を決め、夫・妻、父・母になったのだから
覚悟を忘れない方が良い。



「私は女として生きたい」と、ぬけぬけと言う母がいる。
女が美しく母が醜く損だと言っているように聞こえるのだが。
一方、「僕は男として生きたい」という父の言葉はあまり聞かない。

自分の希望欲望は「幼児を成人まで育てたあと」
吐いてもらいたいものだ!

トラでもライオンでもカッコウも、わが子が巣立つまで必死で育てるではないか。

それなのに
「まだ巣立つことが出来ない」幼児を虐待死させるとは!




悪人より抜粋
父になったら、母になったら、立場を自覚してもらいたい。
ドロドロした欲望に負けそうになったそのときは、
自分の頬を叩き、熱湯を被り、寒風に身をさらし、
両足を踏ん張りがんばってもらいたい!

子どもを授かったならば、男、女の情念、業を捨て
親に変貌してもらいたい。子育てに取り組んでもらいたい!

何事も因果応報。
自分の罪をを正当化する ような、後付理屈は空しい。




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埼玉県下随一の繁華街、大宮南銀座。かつて見晴らし通りと呼ばれていた昭和26年頃からの光景・・・
山田とも子=つぶやき
読売新聞埼玉版 「ほのぼの@タウン」さいたま市レポート集 
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