山田雄一郎
奥の細道急ぎ旅

弥彦神社・出雲崎・親知らず・市振の旅

山田整体ハリ治療院



親不知(おやしらず)は、新潟県糸魚川市の西端に位置する崖が連なった地帯で、
親不知と子不知に分かれるが、この2つを総称した名称も親不知である。



北アルプス北端に位置して断崖絶壁の続く親不知海岸
11月1日のこの日は雨と強風で日本海の波は高く、断崖絶壁の風景がさらに強調されていた。


 

 

出雲崎における芭蕉の俳句

「荒海や 佐渡によこたふ 天の河

出雲崎は江戸時代には幕府直轄の天領地となり北前船の寄港地として栄えた。






 

弥彦神社は、菊祭りの初日であった。 
 

弥彦神社

天照大神の曾孫にあたる「天香山命(あめのかごやまのみこと)」
を御祭神とする、越後一宮。


弥彦神社上陸地 寺泊町野積海岸
寺泊の酒屋 
この店で新潟の名酒を購入


寺泊
寺泊地区には、通称「魚のアメ横」と呼ばれる
海産物市場が軒を連ねている。 


 

良寛記念館入口

館内には良寛の遺墨、遺品、文献等が数多く展示されている。館の南には、橘屋の墓地がある。
良寛は、宝暦8年(1758)出雲崎の名主山本家(橘屋)の長男として生まれた。

 

良寛像

北の丘の上には良寛の歌碑がある。ここから望む佐渡は、
「新潟景勝百選」の1位に選ばれた。向かいに佐渡、
右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、
海岸線に続く街みを見ることができる。

 

良寛記念館庭園


 




親不知(おやしらず)

親不知、子不知海岸は、青海、市振間約15kmの総称で、
親不知と市振の間が親不知で、
親不知と青海の間が子不知と呼ばれている。

親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく
ー平清盛の弟、頼盛の夫人が詠むー
  


昔の北陸道である断崖絶壁が日本海へ落ち込んでいる
海岸沿いの場所に道を造り通行していた海岸への降口

 斜面を降りていく途中で、海へと流れている
滝を見ることが出来る。
 途中には旧国鉄のトンネルが残されている。



 

遊女句碑
一家に遊女もねたり萩と月
市振 長円寺

親不知の難所を越えた夜、市振の宿で、一間隔てての遊女二人と老人の話し声に目が覚める。
老人は、お伊勢参りの遊女を、新潟から送ってきたが翌日は帰るという。。
翌朝に「行方知らぬ旅路のうさ、余り覚束なうかなしく侍れば」、と遊女たちは
涙ながらに芭蕉に同行を訴えた。だがが芭蕉は断る。
しかし、「哀れさ暫らく止まざりけらし」と記し、 
「一家に遊女もねたり萩と月」と詠んだのだった。


今回は市振まで。
この先の「奥の細道」
 
越中
  
「わせの香や 分入る右は 有磯海」

曾良は体調勝れず。急遽、立花北枝が供となる

金沢
「塚も動け 我泣聲は 秋の風」
「秋すゝし 手毎(てごと)にむけや 瓜天茄(うりなすび)」
「あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風」

小松
「しほらしき 名や小松吹 萩すゝき」

加賀 片山津
「むざんやな 甲の下の きりぎりす」

山中温泉
「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」

「今日よりや 書付消さん 笠の露」

小松 那谷寺
「石山の 石より白し 秋の風」

大聖寺 熊谷山全昌寺
「庭掃(にわはき)て 出(いで)ばや寺に 散柳(ちるやなぎ)」

敦賀
「月清し 遊行(ゆぎょう)のもてる 砂の上」

「名月や 北国日和(ほっこくびより) 定めなき」

「寂しさや 須磨(すま)にかちたる 浜の秋」
「波の間(ま)や 小貝にまじる 萩(はぎ)の塵(ちり)」

大垣にて結びの句を
「蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ行く 秋ぞ」

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埼玉県上尾市 山田整体ハリ治療院


副院長 
山田雄一郎「奥の細道」急ぎ旅

前半旅程(27年前)

江戸、旅立ち
元禄2年春 芭蕉旅立ち
千住大橋「草の戸も 住み替はる代(よ)ぞ 雛の家」
「行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪」

日光
「あらたふと 青葉若葉の 日の光」

黒羽 雲巌寺 光明寺
「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」

栃木県大田原市
「夏山に 足駄を拝む 首途哉」

那須 温泉神社 殺生石
「野を横に 馬牽むけよ ほととぎす」


平泉
「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと」
「五月雨の 降り残してや 光堂」

山形領 立石寺

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」

新庄
五月雨を あつめて早し 最上川(もがみがわ)

以上は27年前に両親の運転手として
随行した「奥の細道」。
機会をつくり再び旅立ちたい。