山田とも子のつぶやき



近所なので、いつでも行ける、という気持から、
スタート以来数年行かなかった鉄道博物館に行くことになった。

会場は見事に賑わっていた。
その光景に、私は初めて白井助七翁に感謝したのである。
翁は大宮に国鉄工場をつくり大宮の危機を救ってくれた方である。
白井助七翁は死しても大宮に貢献している。
素晴らしい。
大宮に国鉄工場が出来なければ、この鉄道博物館もなかったのだ。
と私は館内を巡りながらつくづく、思ったのである。

戦後間もなくの頃、私は大宮駅構内を遊び場のようにして育った。
そんな私たちをとがめる職員は誰もいなかった。
だから勿論、蒸気機関車などは目の前(1メートル)で、
ピーっと噴出す蒸気を眺めることができた。




走り行く列車を目の前で見送るという、
つまり、手を振って送るレベルではなかったのである。
思えば幸せな環境であった。

大宮は歴史豊かな骨太のなまちである。
骨太というのは「東京の銀座・麻布・六本木」のような環境を、私は指していない。

無骨な骨太である。
人まねばかりしていると骨折。

大宮の個性を知り本当の故郷として愛する人々により、つくってもらいたい。。
しゃれのために着飾る為に
瘦せて「骨粗しょう症」にならないように。



年を重ねるとお国訛りが出てくるという。
大宮に住みながら、捨ててきた故郷を恋しく思う人。
はたまた、自分にとって都合の良いまちづくりをしようと、
虎視眈々としている人。

「郷に入れば郷に従え」という名言がある。

大宮に感謝し歴史を勉強していただきたい。
3代以上住み続ければ答えが出せるかもしれない・・・・

それからでも遅くはないと思うのだが。

落下傘部隊で大宮に飛び降りて来た方々よ。
リーダーの座が欲しいなら、くどいようだが、
「アネハ鶴の山越」
をお読みいただきたい。
お時間があれば「リーダーとボス」についてもどうぞ。



読売新聞埼玉版 「ほのぼの@タウン」さいたま市レポート集 
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